京都 蔵丘洞画廊

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絵と人に出逢う

2007年12月4日

それは10月の展覧会の棟方志功展にまじまりました。。。

画廊一杯に棟方の板画(木版画)と肉筆(倭絵)を並べて、ウインドーにも道行く人達にと作品を 展示したわけです。2年間少しづつ買い集めて きた物をそれなりに吟味して。額装などを新調し て今年の秋のメインイベントといったつもりで取り組んできたものでした。

私達の画廊は、企画販売の画商としてこの地で 30年余り活動しているわけでそれなりに認めて いただいていると自覚していますが、道行く人が その友達らしき人に画廊を指差して、『棟方志功展やて、あれみんな本物やったらすごいんやろ な』と大きな声で話しながら通り過ぎていかれます。また、どうも棟方は国民的に有名と言うことからか、普段画廊に入場しない方々の立ち寄りも 多いんですが、なかで印象的なお話を紹介しますと、キャリアウーマン風のご婦人は『やっぱりこれくらいの価格するんですね。実は私先日ネットで棟方の版画を落札したんです。7万数千円でした。到着を楽しみにしていて、荷解きしていたら何だかすごく真新しいインクのにおいがするんです。そしてこれは今摺った偽者だとピント来ました。やっぱり私のようなサラリーマンがこんな有名な作家のものが買えるなんて、小躍りしたなんて、バカですよね。いいんです。自分の戒めのために飾らず置いておきます』といわれました。思わず私『私たちの業界がしっかりしないからご迷惑をお掛けしました』と謝ってしまいました。

また別に身だしなみからごく普通の会社員風の中年の男性が私に近づいて『オタクで百何十万って書いてあるこういうの(これらの作品)、テレビの何でも鑑定団に出したら(鑑定してもらったら)10万円って言われたりしてな。』って世間話を友達にするかのようにとても真面目な顔つきで平然と申されます。

100人が画廊の前を通り過ぎて、その中の10%の方が美術に多少なり興味があって、その方たち100人のまた10%のかたが入場していただき、実際にたとえ3万円の版画さえ販売と結びつくような感性の出会いは来場者の1%未満だと云うことは十分存じています。

無論ここでは成約率のことではなく、美術品と言うのは生活の必須アイテムではなくて、多少のお金と教養を持ち合わせた方々の心を彩るもので、全体の人口からは残念ながら大変率の悪いものであることを示した話です。

また11月には新鋭の画家、原崇浩展を開催しました折のことです。120号(約194センチ)という大作の裸像を筆頭に比較的大き目の作品を中心に人物、静物、風景などを画廊一杯に展示しました。36歳とまだ若いのですが作品集を刊行したこともあり、お陰様で多くの方に反響を戴き大変幸せでした。

そんな中、男性裸像をウインドウに展示していましたが、或る日警察がやってきて『110番があった。修学旅行生も通る文化都市に男根描写の絵は困る』とのことでした。

なんとこの絵は既に売約となっており、私はやや確信犯で売約のマークをつけて展示して『芸術は認められるものなのですよ』のメッセージを頭の固い人達に見せ付けたい思いもあったわけです。

ワイセツか芸術かの論議は先進国ではとうに昔のものと、堂々と男性ヌードと女性ヌードを展示していたのです。

ところが女性像はお咎めなく男性が卑猥だと私服警官3人が詰め寄るのです。

確かこの日の新聞にR,メイプルソープの写真集も裁判で争われていた記事が掲載されていました。

芸術と良識のはざまを決定する人の感覚は時代が作るものとするなら、それを培う人間教育が難しい。大人が倫理観で多くを蓋し、時の流れで解決させようとすると子供たちと論議をすることはなくなります。 例の作品を小学校4年生の子供に見せ、『芸術かエッチな絵か?』と問うとこちらを馬鹿にしたように即座に『芸術でしょ!』といわれた。確かに中学生くらいの女生徒がキャッキャ騒ぐ姿も散見したが、多くはその描写力と、全体から漂う純粋な芸術観を眺めておられる様でありました。

若者の性的興味は当然のことであり大人は白日の下で《 性-精神 ―人間性―家族-社会 》を語らねばならないのです。

二つの展覧会を通じて低い文化観がいまだ大手を振って歩いていることを体感させられましたが、一方両展覧会で心豊かな芸術の理解者の方たちとふれあうこともあり、巷で言う格差社会の金銭、地位などとは違ったインテリ度の格差が大きいことを実感した次第です。

文責 岡眞純 2007.12.4