京都 蔵丘洞画廊

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― か弱き蒼氓 ― 服部しほり展


『 人不知悪、悪乎成生。 』 六曲一隻( 174.8 × 350 cm )


『 漫ろならざる番ひ 』 30P

鮮やかな色遣いと物語性ある異形の人物からなる作品で、熱心なファンを次々に獲得している服部しほり。

善と悪、夏と冬、鬼のような人外もいれば、どこか親しみを感じる「おっさん」もありと、今回は一面だけでは語れない、「対」である世界の様を表現することに取り組んでいます。

京都で生まれ育ち、活動を続ける作家の、蔵丘洞では2回目の個展です。大学院修了から1年半、「作家」として走り続ける服部しほりの制作の一端をご覧ください。

3 メートルを超える大作屏風絵を含め、18 点前後展示予定。


服部しほりの描く奇っ怪な絵画と邂逅したのは数年前の京都芸大の作品展だった。今更ここで繰り返すべくも無く、戦後日本画壇の凋落は目を覆うばかりであり、その影響は大学教育にも及び、安穏とした花鳥風月の現代版のような作品が並ぶことの多い同展の日本画に注目することは殆ど無かった。そのような偏向した見解を持っていた小生に、鉄槌を下したのが服部の描く奇っ怪な人物像であった。

夕刻の薄暗い空地にひっそりと立つ味気ない石灯籠の前に、一糸纏わぬ姿の屈強で強面の男が瓦の小山に坐しながら物思いに耽けながら何者かに語りかけようとしている図像が眼に飛び込んできたのである。画題は《この国の先を貴様と論じて》。なる程、自らの固有の文化的特性も維持できない無様なこの国の行政を嗤っているのだと、その時には解釈した。

後に服部の奇怪な画の由来を考えている時に思い当たったのは辻惟雄の『奇想の系譜』で取り上げられた絵師たちの作品群であった。私が同書に目を通したのは美術館で仕事を始めた90年頃、既に同書が出版されてから20年経っていたのだが、もう一つの日本美術史が存在しているのかもしれないと瞠目したものであった。とはいえ、そのような系譜は途絶えて久しく、既に身の回りには存在しないものとして忘却していた。近年、日本画で扱われていたモチーフやテーマ、形式等を引用して制作を試みる若手作家を散見することがあるが、辻の指摘したもう一つの日本画の系譜とは最も遠い場所にいる者たちであろう。

服部の描く奇っ怪な図像は、辻が近世の絵師の中から見出した怪しくも魅惑的な世界をもう一度想起させるものであった。何より、服部は全くの自然体で鬼気迫る図像が身中から湧き出てくる様なのである。過去の奇想画をものした絵師たちのからの模倣で無いことも、服部のポートフォリオを精査した上でも明らかだと断言する。私は、服部しほりという平成の奇想画絵師がさらに大化けすることを信じ、静かに坐して待つこととする。

「平成の奇想画絵師 服部しほり」
国立国際美術館 主任研究員
中井康之


服部は制作にあたり、物語を描く、という点に力点を置いている。 その物語とは、中国の故事や近所の祭り、現代の小説などさまざまで、服部の琴線に触れたものが選択されている。服部はそれらを絵画として再解釈する。物語と登場人物を再考し、ときに原典にはない要素も付け加え、一枚の絵画として成立させる。谷崎潤一郎の小説「卍」(一九二八年)を元にした作品《卍》は、描かれている男性の右腕が蟹の鋏と化しているが、そのような描写が谷崎の作中にあるわけではない。そもそも「卍」は女性同士の同性愛を描いた物語だが、服部は男性を絵画上の主人公としてそのポージングと右腕によって、「卍」という字を象形文字のように表現している。

幼い頃から人物を描くことを好み、好きなアニメの模写を行っていたという服部は、ある物語を読んで感じたことや見て考えたことを絵にする、その登場人物を画面の中で動かすことに対する強い欲求がある。
加えて服部の作品には、確かな画力があるからこそ活きる、形に対するフェティシズムが見て取れる。いくつかの作品の人物の面貌を観察すると、鼻筋は深い皺を伴って描かれ、耳も同様に必要以上の皺があり往々に細長く描かれていることがわかる。

実際の人体を顧みれば不自然とも言えるそれらの描写だが、服部は作品を絵にするため特異な形を画面に持ち込むということを意識的に行っているのである。それらは程度の差はあれ、《卍》の人物の背景に描かれている円、《鶏図》の鶏の鶏冠、《なほ立ちて》の波濤、といった具合に画面に入りこんでいる。さまざまな種類の落款にも見てとれる形そのものに対する欲求は、形自体の再解釈として画面にあらわれる。

服部の作品はこのように、日本絵画が得意とした物語と形の再解釈という両輪によって成立している。それは古都京都で生まれ育ち、中学生の時分から寺院巡りをしていたという、幼いころからの日本への関心から長い年月をかけて醸成されたものであるだろう。

したがって服部に求められるのは、それまでの経験や慣れ親しんだ土地の記憶を出発点としながら、それらの問題をより明確に意識化、先鋭化させることにほかならない。

一面的な日本の表象ではなく、日本が培ってきた重層的な美意識を召還、深化させること。服部しほりが日本画家として、この時代に何を作り出すことができるのか期待している。

「日本絵画の美意識の召還-物語と形の再解釈」より抜粋
世田谷美術館学芸員
小金沢智

開催概要

― か弱き蒼氓 ― 服部しほり展

日時:
11 月 8 日( 土 ) ~ 11 月 22 日( 土 )
10:30 AM - 6:30 PM 会期中無休
作家在廊日:8( 土 ) 、 15( 土 ) 、 22( 土 )
会場:
京都・蔵丘洞画廊(〒604-8091京都市中京区御池通寺町東入ル)