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伏見(3)

伏見 竹田をご紹介


方除の大社城南離宮


 


平安遷都の際、都の南の守護神として創建。国土守護の国常立尊、武勇に秀でた八千矛神(大国主命)、安産と育児の神様息長帯比売命(神功皇后)をお祀りされています。
平安時代の末、交通の要衝でもあり風光明媚なこの地に白河上皇が壮大な離宮―城南離宮と鳥羽離宮―を造営し院政を開始。歌会や宴、舟遊びに競馬など行われ、華麗な王朝文化が栄えました。
また、熊野詣での道中の安全を祈り城南離宮で身を清めて出発する慣わしとなり、方角の災いを除く方除・旅行安全の信仰が高まりました。


『日』『月』『星』の三光を組合せた珍しい神紋
昼夜の隔てなく遍く及ぶ。いたるところでこの紋が目に入ります。




城南宮独特の複合建築で総檜造り。勾配の緩やかな檜皮葺の屋根をはじめ、金具の細部に至るまで平安時代後期の様式に統一されている。手入れが行き届いて美しい


 


そして城南宮といえば『曲水の宴』
平安貴族の装束を身にまとう歌人が和歌を詠み短冊にしたためる。
それがこの城南宮神苑で行われています。

 

この神苑では、四季の情緒を味わえるように作られています。
白河上皇が光源氏の大邸宅「六条院」の理想の姿を実現するべく取り組んだ『源氏物語花の庭』。源氏物語を彩る百種余りの草木が植栽されています。現在ではみられなくなった希少な植物も育てられ保存会も結成されています。

 


安土桃山時代の庭

城南宮が最も華やかであった時代の庭


 



ここ城南宮にも伏見の名水があります。「菊水若水」




「菊水の水を飲むと、あらゆる病が治る」といわれており 、かつてはお百度を踏んで有り難く水を持ち帰る習慣があったそうです。


一番上へ




鳥羽離宮跡 安楽寿院




鳥羽上皇により、かつてこの辺りにあった「鳥羽離宮」の東殿の御堂として建立。
鳥羽離宮は、白川上皇が営んだ離宮で、白河・鳥羽・後白河・後鳥羽上皇と4代150年に渡りここで院政が行われました。
承久3(1221)年、後鳥羽上皇が城南宮の祭礼の流鏑馬揃えと称し兵を集めて挙兵します。しかし、承久の乱が失敗に終わり、院政とともに離宮の歴史も終わりを告げました。今は跡地ということだけがわかっているだけで、何も残っていません。

もともと湿地で沼の多い京都南になぜ離宮を造ったのでしょうか。。。
平安京の正門であった羅城門から真っ直ぐ南へ進むとこの地になり、一般に「鳥羽の作道(つくりみち)」 と呼ばれる道路が延びていた為と思われています。
このことから鳥羽離宮のことを『城南(せいなん)離宮』とも呼ばれていたそうです。



安楽寿院は、鳥羽離宮の東殿で鳥羽・伏見の戦いで官軍の本宮となった場所です。
重要文化財の本尊は阿弥陀如来坐像。
胸に卍字が刻まれた「卍の阿弥陀」と親しまれています。


釈迦三尊石像(右側)と薬師三尊石像は、何とも粗末な建物にあり、かわいそうですが、阿弥陀三尊石像は 京都国立博物館に保管されているそうです。
これら石像には歯痛平癒の信仰が あるらしく、平癒のお礼に土団子を竹の 皮にくるんで供える風習があったそうです。何とも素朴な風習ですね。


二層の多宝堂





近衛天皇安楽寿院南陵
現在は宮内庁の管轄。天皇陵に多宝堂が建つのは極めて珍しい。


当画廊よりすぐの地下鉄市役所前駅より竹田駅下車。
城南宮へは、竹田駅より市バス「城南宮東口」下車。車の場合は、京都南インター降りてすぐです。
安楽寿院へは、竹田駅より徒歩約5分。
安楽寿院から西へ向かうと城南離宮へ。徒歩約15分。
何もない道ですが、車が行きかい横には高速道路があり古の世界から一気に現実の世界へ戻ります。




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