京都 蔵丘洞画廊

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絵と人に出逢う

金沢に対談を聞きに行く

2016年2月

今年 1 月 2 日より( 3 月 21 日まで )金沢 21 世紀美術館で開催されている、生誕 100 年井上有一展の記念行事に出かけた。1 月 8 日にはレセプション( 写真はその時のもの )2 月 13 日は芳賀徹・海上雅臣両氏による対談を聞きに出かけた。
レセプションには作品を貸出しておられる関係者や、有一が生前住まいとしていた神奈川県の寒川町の職員の方など、今も有一を敬愛してやまない面々が集った。
こちらの話の内容は所謂展覧会の趣旨意義といったものであったが、2 月の対談では、過去に韓国・中国・アメリカなどの研究者などと有一のシンポジュームをまとめた芳賀先生とのお話ということで興味深く出かけた。先着 50 名( 予約不要 )と明記されたパンフレットであったが、なんと!予約のない方は既に満席でお断りしますと言われて唖然。会場前には人が溢れ 100 人は希望者がいることはひと目でわかった。
偶然、海上先生たちに助け舟を出していただき、なんとか特別に指定席を増設していただき入場しようとしたところで後ろから服を引っ張られて振り返ると、旧知のお客様が困り果てた顔で『 入れない? 』。( この方からこの度の展覧会にも作品を出展していただいている )
私の前にいた秋元館長に、どうにかなりませんか?というと『 もう無理! 』。すぐに対談は始まり私は早く座れと促され、あえなくその方は締め出されたまま。と思いきや途中で入場を許されてお入りになってホッとひと安心。(恐らく出品協力者と強く言われたのだろうと察します)遠方からわざわざお出かけになったほかの方々も入場を断られた方は多く、美術館が凡そこのひと月ほどの間に 4 万人を超える入場者を出すほどの話題の展覧会にも関わらず、50 人定員スペースでは完全にパニックするという事態を読めていなかったと言えるでしょう。
しかし、言いたいことは美術館の失態ではなく、これほどの話題で有一の仕事が衆目を集めているということ。私たちが思っている以上に美術の可能性を現代人が感じる対象なのではないかと気づかせてくれたということです。

肝心の対談内容は、芳賀先生から老子の『 良賈は深く蔵して虚きが若く、君子の盛徳なるは容貌愚の若し 』に例をとり、東洋における醜と愚に潜む美学は西欧のカッコ良さに反したもの。有一の『 貧 』や『 愚 』「 めちゃくちゃデタラメにやっつけろ 」から、その先にある境地まで突き抜けた美に共通点を見ると言われ。
海上先生はいまや中国書檀から、ポスト有一の可能性や如何と言われる程の認識と影響を与えている。日本も中国も有一の様相を真似た書家が続出しているが彼らは全く間違いを犯している。それは彼らの「 筆勢 」による表現と違い有一は「 筆圧 」による表現であり、正に芳賀先生の言われる禅僧の墨跡と共通したものだと。また、顔真卿の臨書に例をとり、有一が書を写すのではなく作者の人格を写すところまで昇華していった痕跡を具体的に示された。
対談後のパーティを遠慮して、小雨の降る金沢を後にしての日帰りの旅であった。